「おさしづは宝」刻限中心編明治二十四年より
『おさしづは宝』とは、父が長い間、おさしづの研究に研究を重ね、誰にも分かりやすく読めるように解釈したものです。
明治二十四年一月二十三日 午前一時
刻限御話
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さあ/\/\/\、これ/\どんな事もこんな事も、これまでは神一条で始めた道を、人間の心で始めたように思うて居れば、結構と思う。神一条の道とは何かの事も聞き取れ。古き道にどういう事も聞かそ。だん/\幾重休む処もある。今一時ならんと言えば、向こうへ/\走って行くような道を通して来た。人間の心はどうもならん。人間の思う心では何にもならん。おかしい事を言い掛けると思うやろう。もうどんならん。もう/\めん/\勝手を尋ねる。先々の処、どう成ろうこう成ろうと、案ぜ/\の道を通して来た。これまでの道というは、五十年以来の道は何でも彼でも通りて来た。言わば腰掛けたような道や。まあ/\長い間の処にてどんな事もだん/\仕込もうと思えども、そこまで行かなんだ。そこで一つ道を変えた。今まで聞いた道、腰掛けたような道、人間の心で始めた道か、尋ねてみよ。神に尋ねるのやない。人々心に尋ねるのや。さあ明日早々伝え合い、しっかり談示せん事には、何を尋ねてもすっきりいかんで。さあこれだけ諭し置く。
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さあ/\/\/\、これ/\どんな事もこんな事も、これまでは神一条で始めた道を、人間の心で始めたように思うて居れば、結構、と思う。
(さあ/\/\/\この道は、これ/\という事やどんな事もこんな事も皆世界救けの為であって、これまでは速やかに神の話を聞き分けて道の為世界の為に尽くそうとする誠の心を連れて通す神一条の理で始め掛けた道を、運びさえすれば誰でも結構に救けられるというような、人間並みの心で始め掛けた道のように思うて居れば、真に結構と思う理は一つも治まらんで。)
神一条の道とは何かの事も聞き取れ。
(真実誠の神一条の道とは、何かの事も神の思惑どおりに尽くそうとする誠の心一つに治まるという理をよう聞き取れと言うのや。)
古き道にどういう事も聞かそ。
(それだけの理を一人でも多くの者に治めさせてやりたいから、生涯何の楽しみも無く艱難苦労の中を通り抜けた教祖の古き道を台にして、どういう事も聞かそうと言うのや。)
だん/\幾重休む処もある。
(その為にだん/\と幾重の理を伝えなければならないが、一つ一つの理が治まるべき時旬を待つ為に、少しの間休む処もあるのやで。)
今一時ならんと言えば、向こうへ/\走って行くような道を通して来た。
(今の一時の処は時旬が治まらないからこれ以上先へ進む事はならんと言えば、どうしたら良いか分からなくなってしまうであろうが、そこを切り開く天然自然の順序の理を拵える為に、反対側の向こうへ/\と走って行くような道を通して来た事も有るであろう。)
人間の心はどうもならん。
(何処まで行っても人間の思うようにならない神一条の道に満足たんのう治めて運ぶ理によって、長い年限の間に積み重ねた親不孝因縁を払って心澄まし、今一時の結構を天に供えて道の為世界の為に尽くす理によって真実誠の種を撒き、あらゆる中を満足たんのう貫く理によって修理肥やしの理を治め、それだけの順序によって撒いた種を大きく育てなければ結構な先々の理は治まらないという事が分からんような人間の心は、どうもならんと言うのや。)
人間の思う心では何にもならん。
(人間の思うような心では、第一のスタートの理である天然自然の順序の理さえ治まらないから何にもならんのやで。)
おかしい事を言い掛けると思うやろう。
(それが分からないから、反対へ行くのも道だと言えば、おかしい事を言い掛けると思うやろう。)
もうどんならん。
(元々からこの世は神が支配をする神の世界であるから、神のさしづどおりに運ばなければ何も治まらないのは当たり前であって、もうどんならんという事に成るばかりやで。)
もう/\めん/\勝手を尋ねる。
(速やかに世界一列を救けたいばかりの神の思惑を尋ねて、何事も神の思惑どおりに運ぼうとしなければ神は働けず、神が働かなければどのような順序の理も治まらないという事が分からないから、もう/\めん/\が勝手な人間の道を尋ねるという事に成るのや。)
先々の処、どう成ろうこう成ろうと、案ぜ/\の道を通して来た。
(先々の処がどう成ろうとこう成ろうと、今さえ良ければ良いと思うような事であるから、本当にそれで良いかと思案をさせる為に、案ぜ/\の道を通して来たのやで。)
これまでの道というは、五十年以来の道は何でも彼でも通りて来た。
(これまでの道というは、これから創まる世界救けの道を世界中に知らせる為の仮の道であって、その為の善悪含めた多くの台〈見本、ひながた〉を拵える為の自由な道であるから、五十年以来の道は、何でも彼でも皆々の思惑どおりに通りて来たのやで。)
言わば腰掛けたような道や。
(それというは、皆々の真の心を現わして大きく受け取り、大きく返して道の理の恐ろしさを世界中に知らせる為の、言わば腰掛けたような自由気ままな道を通して来たのやで。)
まあ/\長い間の処にてどんな事もだん/\仕込もうと思えども、そこまで行かなんだ。
(まあ/\これ迄の長い間の処にてどんな事もだん/\仕込もうと思えども、都合の悪い事には耳に蓋をしてしまうような皆々の勝手心が邪魔をするから、そこまで行かなんだのや。)
そこで一つ道を変えた。
(そこで一つ道の理を変えたのやで。)
〈・・・速やかに神の話を聞き分ける事が出来るか出来ないかによって、先々の道が大きく変わるという理〉
今まで聞いた道、腰掛けたような道、人間の心で始めた道か、尋ねてみよ。
(今までに聞いて来た道や、色々なひながたを拵える為の腰掛けたような道も、人間並みの心で始め掛けた道かどうか尋ねてみよと言うのや。)
神に尋ねるのやない。
(神に尋ねるのやないで。)
人々心に尋ねるのや。
(もう一度原点に返って、これで良いかと皆々で思案をする為に人々の心に尋ねると言うのや。)
さあ明日早々伝え合い、しっかり談示せん事には、何を尋ねてもすっきりいかんで。
(さあ明日の朝早々に皆々に伝え合い、しっかりと談示をせん事には神の思惑どおりに運ぶ事に成らないから、何を尋ねてもすっきりといかん事に成るで。)
さあこれだけ諭し置く。
(さあこれだけの理を諭し置くから、しっかり聞き分けて運ぶよう。)
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「運びさえすれば誰でも結構に救けられるというような、人間並みの心で始め掛けた道のように思うて居れば、真に結構と思う理は一つも治まらんで。」
この道は、信仰した人が信仰した分だけ幸せになれるような生ぬるい道では有りません。
各々の幸せだけを求めた信仰では神様に受け取っていただくことは出来ません。
我々は世界救けの為に引き寄せられたということを、今こそもう一度考え直すべき時ではないでしょうか。
「速やかに世界一列を救けたいばかりの神の思惑を尋ねて、何事も神の思惑どおりに運ぼうとしなければ神は働けず、神が働かなければどのような順序の理も治まらない」
「心一つが我が理」と神様はお定めくださいました。
そのため、我々が自分自身の都合を最優先し、自分の希望を神様にお願いするような通り方では、神様の思惑通りのお働きが出来ません。
自分の都合は捨てて、どのようなことになろうとも、この先の運命を全て神様に委ね、神様に凭れて、神様の思し召しに従って通らせていただく心を定めることで、神様に真にお連れ通りいただけるのだと思います。
そうすることで、神様がお働きくださり、用木として育てる為の順序の理が治まるのだと思います。
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(この記事に掲載したおさしづは明治二十四年ですが、明治二十四年の解釈はまだ未完成のため、このサイトにはまだ掲載されておりません。)
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