心得違いは出直しや

倉橋真一 2022年2月6日


「出直し」
とは死ぬことでしょうか?

そうですよね。

本部のホームページにもそう書いてありますから。

天理教では、人の死を「出直し」といいます。
親神様からの「かりもの」である身体をお返しすることを指します。
出直し・生まれ替わり


ところで、六下り目の

八ッ やつぱり しん/\゛ せにやならん
   こゝろえ ちがひは でなほしや

この「出直し」も人の死を意味するのでしょうか?


深谷忠政先生の『みかぐらうた講義』には次のように書かれています。

心得違いは出直しやであります。近道や欲や高慢のため、お道より遠ざかりお道の正しい信仰を踏み間違えた者は、ついには身上をお返しせねばならぬという意味であります。
みかぐらうた講義 p.147

やっぱり「人の死」を意味する「出直し」のようです。


道を素直に通るものなら、ここで「はい、わかりました」で終わらせるのがいいのでしょう。
でも、なにせ根がひねくれ者なので、もうしばらくお付き合いください。



「出直し」を歴史的に振り返ってみたいと思います。



目次
  1. 慶応3年(教祖70歳)
  2. 明治14年(教祖84才)
  3. 明治36年(明治教典)
  4. 昭和2年(おさしづ)
  5. 昭和12年(正文遺韻)
  6. 復元後
  7. まとめ
  8. 最後に

慶応3年(教祖70歳)


「出直し」という言葉が初めてはっきりと使われたのは、先ほど挙げた「六下り目」です。

八ッ やつぱり しん/\゛ せにやならん
   こゝろえ ちがひは でなほしや


このみかぐらうたを教えていただいたのは、教祖70歳、立教30年目にあたる慶応3年のことです。


『おふでさき』は、まだ書かれていません。
この2年後、72歳から書き始められます。

なお『おふでさき』に「でなおし」は一カ所も出てきません。

明治14年(教祖84才)


年月が進み、明治14年、教祖84歳の時。

教祖は「こふきを作れ」と仰せられます。

「こふき」とは「元の理」のベースとなったお話です。


「元の理」は教典の第3章にあります。

そのなかに次のような表現があります。

最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい


さてこの表現、「こふき」ではどう書かれているでしょうか。


なお「こふき」は、二代真柱様が書かれた『こふきの研究』が詳しいので、それをもとに話を進めていきたいと思います。

Amazonでも購入できます(ビックリ)


『こふきの研究』には4つの「こふき」が紹介されています。

  • 和歌體十四年本(山澤本)
  • 説話體十四年本(手元本)
  • 説話體十四年本(喜多本)
  • 十六年本(桝井本)

それぞれの違いについては『こふきの研究』をお読みください。


さて、「元の理」の表現どうなっているでしょうか。

  • 天理教教典 第3章「元の理」
最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい



  • 和歌體十四年本(山澤本)
人間ハ五分から生まれ五分/\と成人をして三寸にてハ果てまして 
(読み方は「はてまして」)
こふきの研究 p.64



  • 説話體十四年本(手元本)
五分から生まれて、九十九年にて三寸になりて皆な果てしまい
(読み方は「はてしまい」)
こふきの研究 p.81



  • 説話體十四年本(喜多本)
其人間ハ五分から生まれ五分五分と成人をして三寸となり、その時にいざなぎ様はをかくれありて、人間も崩まして
(読み方は、「人間もくれまして」)
こふきの研究 p.92



  • 十六年本(桝井本)
此人間生れ出してわ、五分より生れて九十九年目に三寸迄成長して、皆死亡す
こふきの研究 p.136



いずれも、「出直し」という表現がないことが分かりました。


もうひとつ「十全の守護」の「たいしょく天のみこと」

出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。

これも「こふき」の中に記載があります。

長くなるので簡単にまとめておきます。
引用した「こふき」の順番は上と同じです。

  • 胎内の縁切る神
  • 死に生きの縁切りの守護
  • 人間の生死にも、又は、よろづの縁を切る役目
  • 人間の死に生き、縁を切り道具



明治36年(明治教典)


さて、さらに時代を進めます。

明治36年、教祖が現身を隠されてから16年後のことです。

一派独立を目指して、『教典』を編纂します。

いわゆる「明治教典」と呼ばれたものです。

この教典の中に「出直し」という表現はありません。

また、「十全の守護」は神名のみの記載です。

ただ、政府の干渉もあって、思った通りのことを記述できなかったのも事実です。

読んでみたい人は下記のリンクから読むことができますよ。

一部欠けているページあります。

どうしても気になるという方はこちらをどうぞ。



昭和2年(おさしづ)


さて続いて昭和2年『おさしづ』が公刊されます。

なお、この『おさしづ』は『おふでさき』とともに、昭和14年の政府干渉により本部が回収してます。

どうしても見てみたいという方は、こちらのリンクで見ることができます。
(すごい時代になったものです...)


現在の『おさしづ』には「出直し」または「出直す」が6件あります。

この6件は本文に出てくるおさしづの数です。

一方で割書のほうには45件できてきます。

割書とは本文の前にある伺いの理由などが書かれている部分のことです。

さて今回注目したいのは割書の表現。

例えば、明治22年10月26日のおさしづ

現在の割書ではこのように表現されています。

河内国松村栄治郎老母出直に付、中山会長斎主御許しの願


昭和初期の『おさしづ』ではこう書かれています。

松村氏老母死亡に付中山様斎主御許可を願

私も、これをはじめて見た時は、かなり衝撃的でしたね。


ちなみに本文の「出直し」「でなほし」と表現されていました。



昭和12年(正文遺韻)


さて続いて昭和12年。立教100年にあたる年です。

この年、『正文遺韻』が出されます。知る人ぞ知る『正文遺韻』です。

発行は昭和12年ですが、内容は諸井政一先生が明治21年から明治36年に書き残されたものです。

諸井政一先生は教祖にお会いしていませんが、当時直接教えを受けた古老の先生方から伺った話を書き留めていました。

それをまとめたのが『正文遺韻』です。

そして、この本の中に、教祖伝のベースになったお話(道すがら外編)が出てきます。

『正文遺韻』として出されるときに、見出しなどに多少訂正をくわえられたようですが、とくに本文などはありのままが良いとの判断がされています。


ところで『正文遺韻』はなかなか手に入らないんですよね。

抜粋版である『正文遺韻抄』が道友社から出版されています。

こちらもAmazonで購入できます


『正文遺韻抄』にも「道すがら外編」は収録されていますので、今回はこちらで話を進めていきます。

さて、教祖伝はある意味(?)伝記なので、いろんな方が登場しては出直します。

どう表現されているか見てみましょう。

・善兵衛様

夫善兵衛様は、六十六才にして御長逝相成りましてござります。
正文遺韻抄 p.42

・秀司先生の娘・おしう様

秀司様の娘子、おしう様と申す御方が、十八才にして御出直し相成りましてござります。
正文遺韻抄 p.72

・おはる様

御よめいりになりました御春様が、御死去致されてござります。
正文遺韻抄 p.77

・こかん様

小寒様御障りとなりまして、三日目に遂に御向ひ取りになりました。
正文遺韻抄 p.90

・秀司様

遂に御聞きにならずして、三月十日といふに御亡くなり遊ばされた。
正文遺韻抄 p.95

ここでは、出直しに、まだまだ統一されていなかったったことがうかがえます。



復元後


そして終戦、復元が提唱されます。

昭和21年 おさしづ(巻1)下付

割書の「死亡」が「出直し」に統一されています。

昭和24年 天理教教典 公刊

「元の理」「十全の守護」の文言が出直しに統一されています。

昭和31年 稿本天理教教祖伝 公刊

各人、出直しに統一されています。



まとめ


六下り目の

八ッ やつぱり しん/\゛ せにやならん
   こゝろえ ちがひは でなほしや


このみかぐらうたを教えられたとき、まだ「出直し=死」は全く定着していなかったことが分かりました。

そもそも「出直し=人の死」が教内に定着したのは、昭和20年の復元後だと思われます。

つまり、「こゝろえ ちがひは でなほしや」は「死ぬこと」と言う意味で教えられたものではない、そう考えてよいと思います。



最後に


と、まぁここまで長々と説明してきましたが、じつは明治33年に初代真柱様が『御神楽歌釈義』という、みかぐらうたの解釈本を出されています。

「こゝろえ ちがひは でなほしや」は、道に背反するの行為あれば即刻改過し恩宥を仰くべしとの義なり「でなほしや」は改心の義なり
御神楽歌釈義 46/83

いきなり答えがあったわけです。

最初からこれを出してもよかったのですが、なんかこうやったほうが自分たちの信仰がどのように出来上がってきたかがわかるかなぁと思って。



例えば今回自分で調べて改めて気づいたのは「みかぐらうた」って「おふでさき」が書かれる前からあったんだって。

で、そのことを朝夕のおてふりの時に思い出すと、なんか少し気持ちが違うんです。

まぁ、違うだけですけどね😅




倉橋真一
天理教東王子分教会|仕事しながら教会長|こども食堂|フードパントリー|2社の創業メンバー|会社役員|個人事業主|仕事はSEっぽいこと|飲んでなくても「もう酔ってる?」と聞かれる|年下から「あんたに信仰心はねぇ!」と説教された|