三年千日は一生に1回
まもなく教祖140年祭の三年千日が始まりますね。
まぁ昨年、本部秋季大祭で諭達第4号が発布されたときから、なんとなくもう始まっている感はありますが。。。
さて諭達第4号の中におさしづが引用されていました。
ひながたの道を通らねばひながた要らん。
(中略)
ひながたの道より道が無いで。おさしづ 明治二十ニ年十一月七日
このおさしづ全文は長いんです。1800字以上あります。
原稿用紙4枚半です。
で、このおさしづの解説をnoteにまとめている方がいました。
ちょっと辛口なのですが、きちんと勉強されている方なんだなと思っています。
おさしづの解説は後半から始まります。
興味のある方は是非読んでみてください。
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さて、このnoteを読んで知ったのですが、三年千日って一生に1回で良いみたいです。
諭達第4号に引用されているおさしづを読むと、それが分かります。
その部分を引用してみます。
千年も二千年も通りたのやない。
僅か五十年。
五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。
二十年も十年も通れと言うのやない。
まあ十年の中の三つや。
三日の間の道を通ればよいのや。
僅か千日の道を通れと言うのや。
千日の道が難しのや。
ひながたの道より道が無いで。おさしづ 明治二十ニ年十一月七日
確かに、教祖五十年のひながたに対して「十年の中の三つ」とか「千日の道」と表現されています。
教会長になって10年目なのですが勉強不足でした。
だったら、じゃあなんで10年毎の年祭で毎回毎回、三年千日って言うんだよって話になるわけです。
☆
昨年12月にBeさんのnoteを読んでから何となくその疑問を抱えたまま年を越しました。
年が明けて1月8日は上級の春季大祭です。
今回は教祖140年祭に向けての部内巡教も併せて大教会長さんがお越しになりました。
その巡教講和の中で、大教会長さんがこんなことをおっしゃってくれました。
おさしづを読むと三年千日って1回で良いんです。
だからって1回だけの年祭の「三年千日」全部をひながた通りになんて通れるわけない。
どんなに頑張ってもせいぜい10%~20%
教祖年祭の三年千日を意識して出来るって人生の中で4回か5回でしょ。
だから年祭ごとに毎回頑張ってやっと三年千日の及第点になるんです。
いやぁ、なるほどと思いました。
でも実際教祖のひながたを通るなんて、教祖伝とか読めば生半可なことじゃないというのは分かるわけです。
っていうか10%だってできる気がしない!
だからこそ、さきのおさしづの中に
三日の間の道を通ればよいのや。
とか
ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ。
まあたった三日や。おさしづ 明治二十ニ年十一月七日
とあるのでしょう。
まずは三日くらい頑張ってみなよ、ってことでしょう。
とりあえずそう解釈しました。
それを生涯足していって千日になればいいのではないでしょうか。
☆
人間って、なかなか思っていても行動には移せないものですよね。
だから本部から三年千日の声掛けがあったから、とりあえず3日くらい教祖ひながたを意識して生活してみる。
教祖ひながたってどんなんだったっけって思ったら、教祖伝を読み返してみる。
そんなところから始めてみてもいいのではないでしょうか。