をしい 〜 八つのほこりの説き分け2

mochi-nobirun 2021年12月6日

天理教道友社から発行されている『みちのとも』立教163年(2000年)1月号に掲載された『基本教理を身につける[八つのほこりの説き分け2](上田嘉太郎著)』から『をしい』を紹介します。

目次
  1. 基本教理を身につける[八つのほこりの説き分け2]
  2. をしい
  3. 心の働き、身の働きを惜しみ
  4. 租税や納め物を出し惜しみ
  5. 身分相当の務めを欠き
  6. 借りたる物を返すを惜しみ
  7. 嫌なことを人にさせて、自分は楽を
  8. 天理に適わぬ出し惜しみ、骨惜しみ

基本教理を身につける[八つのほこりの説き分け2]

上田嘉太郎著
『みちのとも』立教163年1月号掲載

みかぐらうたでは、「八つのほこり」のうち、よくだけが登場します。手ぶりはかき寄せる格好をします。これは物や金銭を求めるだけでなく、人に対して、あれこれと要求する、注文をつけることも含んでいるように思います。

すなわち、自分中心の心遣い、利己的な心遣いを表しているように思えます。その意味では、よくの語はみかぐらうたの中で、八つのほこりの代表として用いられていると言ってもよいのではないでしょうか。ちょっと考えてみるとお分かりになるように、八つのほこりの心遣いは、どれも自分中心の心遣いです。

この手ぶりの味わいはなかなか深いものがあります。折にふれて引き合いに出しますので、心の隅に置いておいてください。

それでは、八つのほこりの説き分けについて、順を追ってお話ししましょう。

をしい

「をしい」とは、心の働き身の働きを惜しみ、租税や納め物を出し惜しみ、世のため、道のため、人のために身分相当の務めを欠き、借りたる物を返すを惜しみ、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。すべて天理に適(かな)わぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いはほこりであります。

八つのほこりは、程度の軽いものから順に並んでいると言われたりします。そういう点では、をしいというのは、次のほしいが、自分の持っていない物を求める心遣いであるのに対して、自分が持っている物を出そうとしない、あるいは、できることをしようとしないという心遣いですから、軽いと言えば軽いように思えます。

しかし、それだけにだれもが積みやすいほこりであります。

心の働き、身の働きを惜しみ

心の働き、と申しますと、例えば、ちょっとした心遣い、気配りもそうです。そうした心遣いを惜しむことが案外多いのではないでしょうか。

もう二十年余り前になりますが、一年足らずのアメリカ留学中に、これはいいマナーだなと思ったことがいくつかあります。

例えば、デパートなどの入り口で、前の人の開けたドアが勢いよく閉まってきて、ぶつかりそうになった経験がおありでしょう。そんな時、ほとんどの人が必ず次の人のためにドアを支える心遣いに感心しました。以来、私は今も心がけていますが、こんな何でもない心配りにも、心和むものを覚えました。かの地の人の心のゆとりを感じさせられた思い出です。

エチケットと言えば、人ごみなどを通っていく時、「Excuse me.(失礼します)」と声を掛けて通っていく姿にも、好感を持ちました。

国柄の違いでしょうが、日本人の場合、あまり言葉に出しません。はずかしがり屋の国民性もあるのでしょうか。一般に、積極的に声を掛けることをしません。特に最近は、あいさつもしない人が増えてきたように思います。知り合い、特に年下の人などと出くわした時、当然「こんにちは」とか「おはよう」とか言ってくるだろうと、こちらもあいさつを返す心づもりでいるのに、目を合わさずに通り過ぎられたりして、拍子抜けすることがあります。また、最初にあいさつをしそびれて何か居心地の悪い、気まずい思いをすることはないでしょうか。これなども言葉を惜しんでいる姿だなと思います。

たとえ、年下であろうと部下であろうと、こちらから声を掛けていくことだと思います。それは家族同士でも言えることです。

また、「ありがとう」とか「ごめんなさい」が、なかなか言えない人も少なくありません。

このように数え上げていくと、毎日の生活の中で、をしいというほこりを積んでいることが、いかに多いかに気づかざるを得ません。

身の働きを惜しみとは、骨惜しみ、なまくらです。

ゴミのポイ捨てもその一例です。ゴミ箱まで持っていくことを骨惜しみする。持ち帰ることを骨惜しみする。それが町を汚しています。また、タバコ一つ買うにも車を使う、というのも骨惜しみの例でしょう。

家庭などで、自分の使った食器をそのままにしておくのも骨惜しみの一つと言えるでしょう。洗い場まで運ぶ、さらには自分で洗えばもっといいでしょう。勤め先などで、他人の湯飲みまで進んで洗えるようになれば、ほこりを脱して、徳積みの域です。

租税や納め物を出し惜しみ

租税、すなわち税金です。納税は国民の義務ですが、それを出し惜しむ。甚だしいのは脱税をする。また、節税は違法ではないと言いますが、これも程度問題だと思います。やはり納めるべきものは納めるという姿勢が大切です。納め物というのは、会費であるとか分担金、また、相応の寄付といったものです。こうしたものをなかなか納めない、出し渋るのも見良いものではありません。

身分相当の務めを欠き

子供ならいざ知らず、一人前の大人になれば、それ相応に果たさねばならない役割、責任があります。ちょっとした町内の世話役であったり、PTAの役員、グループの幹事といった具合に、みんなのために一役買わねばならないことがあります。ところが、人によってはそうした役からとことん逃げ回る人があります。

自分から買って出るほどでなくとも、だれかがしなければならない役回りなら、せめて逃げたりせずに、すベさ時には引き受ける気持ちが大切だと思います。

借りたる物を返すを惜しみ

世間では、借りる時のエビス顔、返す時のエンマ顔と言ったりもしますが、『早く返済、礼を言うなり』とありますように、なるべく早く、感謝の気持ちを添えて返すことを、心掛けたいものです。

また、立場は逆になりますが、有り余っている物でも、人にやるのが惜しいというだけでなく、貸すのも借しいという心だって使いかねません。

無い中からでもお与えになった教祖のひながたに照らして言えば、余力があれば少しは人さまに分けて上げる、力を貸そうという心を持ちたいと思います。

嫌なことを人にさせて、自分は楽を

別席のお話では、汚きことを人にさせて、となっていますが、だれでもそういう嫌なこと、汚いこと、しんどいことはなるべくしたくない、人にしてもらいたいと思いがちなものです。

バブルのころからでしょうが、3Kという言葉を聞くようになりました。キツイ仕事、汚い仕事、危険な仕事はやりたくないというわけです。ですから、そうした業種はどこも人手不足で、外国からの出稼ぎの人に頼ってきたという現実があります。

若い人たちが汗を流したり、泥にまみれたりして働くことを厭(いと)う風潮は、国運が衰微していく兆候のように思えてなりません。

天理に適わぬ出し惜しみ、骨惜しみ

この「天理に適わぬ」というところに深い意味があります。ですから、無駄遣いをしたり、まだ使える物を捨てたりすることを「勿体(もったい)ない」と思うことは「をしい」のほこりではありません。

教祖が物を大切にされた様子は『稿本天理教教祖伝逸話篇』の随所に見ることができます。それは、例えば、「人間の反故(ほうぐ)を、作らんようにしておくれ」「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように」「すたりもの身につくで。いやしいのと違う」(『逸話篇』一一二)、また「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで」(同一三八)などのご逸話によくうかがえます。さらに、物を大切にすることが人を大切にすることにも続いていることをお教えくだされていることが、上掲のご逸話や、また、皺紙(しわがみ)に託しての「人のたすけもこの理やで。心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで」(同四五)のお話からよく分かります。

“勿体ない”と“をしい”の違いは、初めに述べた、かき寄せる手ぶりに照らしで思案すれば明らかです。すなわち、自己中心的であるか、ないかが基準になります。

自分が飲んだり食べたり、遊んだりする金は借しまないのに、困っている人を援助するための出費や手間、時間を惜しむのもよくあることです。

しかし、力を出してこそ体力がつくのです。骨惜しみをして身体を働かせなければ体力が落ちるように、そんなことでは、次第に徳を失い、魂がやせていく、したがって運命も下がっていくことにならざるを得ないでしょう。

また、理に外れた骨惜しみ、出し惜しみは、結局その分を他の人に負担させることになりますから、決して軽いほこりではありません。

※この記事は天理教道友社から発行されている『みちのとも』立教163年(2000年)1月号に掲載された『基本教理を身につける[八つのほこりの説き分け2](上田嘉太郎著)』から引用しています。

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